6.2 速度と衝動の記憶

第6章 ジョムティンビーチにて、親友との再会

6.2 速度と衝動の記憶

—自由とは、アクセルの先にある問い—

ジョムティンの夜。 波音が遠くで響き、先生は執筆用のノートを開いた。 そこに綴られたのは、金融でも創作でもない、もっと原始的な記憶だった。

「僕は16歳からバイクに乗っていた。 17歳の時には、TZR250に乗っていた。 2ストロークの咆哮、夜の峠、誰もいない海岸線。 あれは、自由への最初の投資だった」

先生は、その頃の自分を思い出していた。 ヘルメットの中で響く鼓動。 アクセルを開ける瞬間の衝動。 それは、計算でも分析でもない、“感覚”の世界だった。

「投資とは、リスクを取ることだと言われる。 だが、あの頃の僕は、リスクを“感じていた”。 速度は、問いを超えていた。 それは、身体が先に動き、思考が後から追いつく世界だった」

先生は、創作中の章にこの記憶を挿入することにした。 主人公は、17歳の時にTZR250で夜の海へ向かう。 目的はない。ただ、走る。 その途中で、彼は“問い”に出会う。 なぜ走るのか。なぜ止まれないのか。 そして、なぜその衝動が、今も自分の中に残っているのか。

「速度は、問いを生む。 衝動は、問いを突き破る。 僕は、あの夜の海岸線で、問いの原型に触れていたのかもしれない」

先生は、創作の筆を止め、静かに海を見つめた。 今は、バイクに乗ることは少なくなった。 だが、あの“速度”は、今も彼の中にある。 それは、投資の判断にも、創作のリズムにも、人生の選択にも、静かに影響を与えている。

その夜、先生は日記にこう記した。

「自由とは、速度の中にある。 そして、速度とは、問いの前にある衝動だ。 僕は、あのTZR250に乗っていた頃から、 すでに“問い”に向かって走っていたのかもしれない」

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