—1997年、カンボジアのジャングルで見た“怖い目”—
1997年、僕はまだ“何者でもなかった”。 東京の片隅で、会社員として働いていた。 毎日、満員電車に揺られ、 誰かが決めたルールの中で、 誰かが描いた未来をなぞるだけの生活。 心の奥に、何かが燻っていた。 それが何なのかは、まだ言葉にならなかった。
そんな僕が、なぜかカンボジアにいた。 理由は、今でもうまく説明できない。 ただ、何かを見たかった。 何かを感じたかった。 それだけだった。
首都プノンペンからさらに奥へ。 舗装されていない赤土の道を、トラックの荷台で揺られながら進んだ。 ジャングルの中に点在する村々。 そこでは、まだ高床式の住居が並び、 鶏が地面をつつき、子供たちが裸足で走り回っていた。
その光景は、僕がテレビで見てきた“発展途上国”のイメージとは違っていた。 画面の中の子供たちは、いつもキラキラした目をしていた。 「貧しいけれど、希望に満ちている」 そんなナレーションが流れていた。
だが、現実は違った。 僕が見た子供たちの目は、怖かった。 澄んでいるのに、冷たい。 笑っているのに、何かが欠けている。 その目は、僕の心を突き刺した。
「この子たちは、何を見ているんだろう」 「僕は、何を見てこなかったんだろう」
その夜、村の焚き火のそばで、僕は一人で泣いた。 理由はわからなかった。 ただ、涙が止まらなかった。 それは、哀しみでも、後悔でもなかった。 もっと深い、根源的な“揺らぎ”だった。
翌朝、僕は村の長老に聞いた。 「この子たちは、何を見ているんですか?」 彼は、静かに答えた。
「生きることだよ。 毎日を、まっすぐに生きること。 それしか、彼らにはない。 でも、それがすべてなんだ」
その言葉が、僕の胸に突き刺さった。 僕は、日本に帰った。 だが、もう元の生活には戻れなかった。
会社を辞め、旅に出た。 アジアを歩き、言葉を覚え、 人々の暮らしを見つめた。 そして、気づいた。
「投資とは、生活に寄り添うことだ。 生活を知らずに、数字を語るな。 目の奥にある“現実”を見ろ」
カンボジアのジャングルで見た子供たちの目は、 僕に“生きること”の意味を教えてくれた。 それは、希望ではなく、現実だった。 そして、“価値”とは何かを問い直させてくれた。
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