1.10.旅の原点と人生の転機(10)

第一章 旅の原点と人生の転機

—1997年、カンボジアのジャングルで見た“怖い目”—

1997年、僕はまだ“何者でもなかった”。 東京の片隅で、会社員として働いていた。 毎日、満員電車に揺られ、 誰かが決めたルールの中で、 誰かが描いた未来をなぞるだけの生活。 心の奥に、何かが燻っていた。 それが何なのかは、まだ言葉にならなかった。

そんな僕が、なぜかカンボジアにいた。 理由は、今でもうまく説明できない。 ただ、何かを見たかった。 何かを感じたかった。 それだけだった。

首都プノンペンからさらに奥へ。 舗装されていない赤土の道を、トラックの荷台で揺られながら進んだ。 ジャングルの中に点在する村々。 そこでは、まだ高床式の住居が並び、 鶏が地面をつつき、子供たちが裸足で走り回っていた。

その光景は、僕がテレビで見てきた“発展途上国”のイメージとは違っていた。 画面の中の子供たちは、いつもキラキラした目をしていた。 「貧しいけれど、希望に満ちている」 そんなナレーションが流れていた。

だが、現実は違った。 僕が見た子供たちの目は、怖かった。 澄んでいるのに、冷たい。 笑っているのに、何かが欠けている。 その目は、僕の心を突き刺した。

「この子たちは、何を見ているんだろう」 「僕は、何を見てこなかったんだろう」

その夜、村の焚き火のそばで、僕は一人で泣いた。 理由はわからなかった。 ただ、涙が止まらなかった。 それは、哀しみでも、後悔でもなかった。 もっと深い、根源的な“揺らぎ”だった。

翌朝、僕は村の長老に聞いた。 「この子たちは、何を見ているんですか?」 彼は、静かに答えた。

「生きることだよ。 毎日を、まっすぐに生きること。 それしか、彼らにはない。 でも、それがすべてなんだ」

その言葉が、僕の胸に突き刺さった。 僕は、日本に帰った。 だが、もう元の生活には戻れなかった。

会社を辞め、旅に出た。 アジアを歩き、言葉を覚え、 人々の暮らしを見つめた。 そして、気づいた。

「投資とは、生活に寄り添うことだ。 生活を知らずに、数字を語るな。 目の奥にある“現実”を見ろ」

カンボジアのジャングルで見た子供たちの目は、 僕に“生きること”の意味を教えてくれた。 それは、希望ではなく、現実だった。 そして、“価値”とは何かを問い直させてくれた。

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