株価は、少しずつ戻り始めた。 ニュースも、街の空気も、好転していた。 僕は、静かに期待した。 数字が、再び整い始めたように見えた。
でも──それは、罠だった。 再浮上の瞬間、株価はさらに下がった。 まるで、誰かが“希望”を餌にしていたかのように。
僕は、損失を抱えた。 それは金額ではなく、“読み違えた線”の重さだった。
教訓は、こうだった:
数字は整っていても、流れは読めないことがある。 整合性は必要条件であって、十分条件ではない。
“裏ルート”は、情報ではなく演出かもしれない。 誰かの言葉に乗るときは、その人の“利害”も読むべきだった。
希望は、最も危険な感情である。 再浮上の兆しに、冷静さを失ったのは僕自身だった。
損失は、数字ではなく“問い”として残る。 なぜ買ったのか。なぜ売らなかったのか。 その問いが、次の選択を形づくる。
僕は、売った。 損切りではなく、“問いの整理”として。 そして、ノートに書いた。 「予感ではなく、確率。 でも、確率にも罠はある。」
その銘柄は、後に再び上がった。 でも、僕はもう見ていなかった。 僕が欲しかったのは、利益ではなく、 “線を描く力”だったから。
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