1997年、上海。 貨物船の甲板から降りた瞬間、 空気が違った。 湿度と熱気が混ざり合い、 都市の欲望が、皮膚に触れてくるようだった。
大通りの角に、小さな店があった。 鉄の蒸籠から立ち上る湯気。 小籠包、一籠、数元。 それは、値段ではなく“挑戦の入口”だった。
噛んだ瞬間、肉汁が弾けた。 皮の薄さ、餡の濃さ。 それは、ただの味覚ではなかった。 都市の“意志”だった。
この街は、誰かの夢を笑わない。 むしろ、幻想を現実よりも濃く生きることを、 肯定しているようだった。 現実に縛られるくらいなら、 幻想の中で生活してしまえ。 そんな空気が、雑踏の奥から滲み出ていた。
歩道を歩く人々の目は、鋭かった。 誰もが何かを掴みに来ていた。 その“掴み方”に、ルールはなかった。 ただ、やるか、やらないか。 それだけだった。
この街では、未完成こそが武器だった。 誰かの正解より、自分の未完成。 その未完成を、誰よりも信じること。 それが、この都市で生きる術だった。
小籠包の湯気の向こうに、 自分の“線”が見えた気がした。 それはまだ細く、揺れていたけれど、 確かにそこにあった。
2012年、最後に音連れた上海の夜。 高層ビルの谷間で、 僕はまた、あの小籠包屋を探した。 もう、見つからなかった。 でも、あの味は、僕の中に残っていた。
幻想でもいい。 それが最高なら、 その中で生きてしまえばいい。 この街は、そう教えてくれた。
そして今も、僕はその幻想の続きを描いている。 誰かの地図ではなく、 自分の“線”で。
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