3.8 シェアヌークビルの日本人と“金利生活”の記憶
—物価10分の1、金利10%、そして消えた“永遠の楽園”の住人たち—
トシ先生がシェアヌークビルを初めて訪れたのは、10年以上前のことだった。 カンボジア南部、タイ湾に面したその海辺の町は、まだ素朴で静かだった。 白い砂浜、ヤシの木、そしてどこか懐かしい空気。 「ここは、時間が止まっている」 そう感じた先生は、しばらく滞在することにした。
その頃、町には数人の日本人が暮らしていた。 彼らは“金利生活者”と呼ばれていた。 日本で貯めた500万円をカンボジアの銀行にリエル建てで預け、年利10%の定期預金で暮らしていたのだ。 物価は日本の10分の1。 月5万円もあれば、ビーチ沿いのバンガローで暮らし、毎日ビールを飲みながら夕陽を眺めることができた。
「10年間、口座の残高が減ってないんですよ」 そう語ったのは、当時60代の男性・田村さんだった。 元は都内の中小企業で経理をしていたが、定年後に“逃げるように”カンボジアへ来たという。 「日本じゃ、年金だけじゃ足りない。ここなら、金利が年金代わりになる」 彼は、笑いながら缶ビールを開けた。
もう一人の住人・佐伯さんは、元フリーライター。 「ここでは、何もしないことが仕事です」 彼は、毎朝ビーチを散歩し、午後はハンモックで読書をしていた。 「日本では“生産性”ばかり求められたけど、ここでは“存在すること”が価値になる」 その言葉に、トシ先生は深く頷いた。
それから10年。 トシ先生は再びシェアヌークビルを訪れた。 だが、町は変わっていた。
ビーチ沿いには高層ホテルが立ち並び、カジノが乱立していた。 中国資本が流入し、地元の人々は郊外へと追いやられていた。 かつてのバンガローは取り壊され、静かなカフェは騒がしいバーに変わっていた。
銀行の金利も、今では年利5.5%前後。 インフレ率は2.4%ほどに落ち着いているが、かつての“金利だけで暮らす”という夢は現実的ではなくなっていた。 物価も上昇し、生活費は当時の3倍近くに膨らんでいる。
「田村さん、佐伯さんは…?」 先生は、地元のタクシー運転手に尋ねた。 「日本人?ああ、昔はいたね。今は見ないな。たぶん、帰ったか、別の町に行ったよ」 その言葉に、先生は静かにうなずいた。
「永遠に減らないお金なんて、幻想だった。 でも、あの頃の彼らは、本当に“生きていた”と思う」
先生は、かつて田村さんが暮らしていたバンガロー跡地に立ち、 波の音を聞きながら、ノートにこう記した。
「楽園は、いつか消える。 だが、そこにいた人々の“生き方”は、記憶として残る。 そして僕は、彼らのように“生きるために投資する”旅を続けたい」
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