0.2 エピログ(2)

第0章 エピローグ

僕の名前は、トシ。 厳格なサラリーマンの父と、専業主婦の母のもとで育った。 資金もノウハウもなかった、普通の家庭。 お金も、学歴も、何もなかった。 ただ、祖父が絵描きだった。 自由で、創造的で、風のように生きる人だった。 僕は、その背中に、密かに憧れていた。

とりあえず努力した。 メーカーで製品を開発しながら、夜はMBAの勉強をした。 言葉を覚え、国境を越え、投資を始めた。 気づけば、普通の生活では一生困らない資金を得ていた。

人は僕を成功者と呼ぶ。 でも、僕にはよくわからない。 成功とは何か。自由とは何か。 時々、僕は立ち止まってしまう。 この道でよかったのか。 あの選択は、誰かを傷つけなかったか。 もっと違う生き方があったのではないか。

夜のホテルの窓から、遠くの灯りを眺めながら、 僕は何度も問いを繰り返した。 孤独だった。 でも、その孤独が、僕を深くした。 誰かに裏切られたこともある。 でも、その痛みが、僕を柔らかくした。

時々、祖父の絵を思い出す。 風の中に立つ、ひとりの人物。 顔は描かれていない。 ただ、風を感じている背中だけが、そこにある。

僕も、あの絵のように生きたいと思った。 顔ではなく、背中で語るように。 肩書きではなく、問いで残るように。

問いを持った最初の記憶は、小学五年生の頃だった。 家計は豊かではなかったけれど、両親は時々、美術館に連れて行ってくれた。 その日、僕はピカソの《ベレー帽と四つ葉の女》の前に立ち尽くした。

彼女は、こちらを見ていなかった。 ベレー帽をかぶり、胸元には四つ葉のクローバー。 色彩は控えめで、構図は静か。 でも、なぜかその絵から目が離せなかった。

四つ葉は、幸運の象徴だと教えられていた。 でも、彼女の表情には、幸運の気配はなかった。 むしろ、静かな違和感が漂っていた。

なぜ四つ葉なのか。 なぜ彼女はこちらを見ていないのか。 なぜベレー帽なのか。 なぜ、僕はこの絵から離れられないのか。

その日から、僕は問いを持つようになった。 それは、絵の中の沈黙ではなく、 僕自身の中の静かな声だった。

四つ葉は、偶然の中に現れるもの。 でも、それを「身につける」ことは、選択だ。 希望のかたちをしているけれど、 その希望は、違和感の中に芽生える。

僕はその日、初めて「問い」を持った。 それは、答えを求めるものではなく、 生き方を選ぶための、静かな線だった。

そして今も、僕は、点と線をつなげている。 過去と現在、偶然と選択、問いと行動。 そのすべてが、ひとつの絵になる日を望もう。

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