3.12 東京の教室にて

第3章 アジア各地での投資と生活
3.12 東京の教室にて —技術を超えて、人を育てるということ— 成田空港に降り立ったトシ先生は、湿度の高い日本の夏に少し戸惑いながらも、 どこか懐かしい空気に包まれていた。 ケップの静けさがまだ耳に残っている。 だが、今は新たな役割が待っていた。 大手電機メーカーから依頼された講義—— テーマは「コンピュータ工学の基礎と応用」。 対象は、理系大学院を卒業したばかりの新人技術者たち。 一か月間、毎朝の連続講義。 彼らは、まだ社会の空気に慣れていないが、知識への渇望は強い。 初日の教室。 先生は、ホワイトボードの前に立ち、静かに彼らを見渡した。 若い瞳が、期待と不安を抱えてこちらを見ている。 「皆さんは、コンピュータを“道具”として学んできたと思います。 でも、私はそれを“関係性”として捉えたい。 人と機械、人と情報、人と人—— 技術は、常に“つなぐ”ためにあるのです」 教室は、静まり返った。 だが、その沈黙は、理解の前触れだった。 講義は、単なる知識の伝達ではなかった。 先生は、田村さんとの対話を思い出しながら、こう語った。 「カンボジアで出会ったある方は、こう言いました。 “私は、金利ではなく、関係で暮らしている”と。 技術も同じです。 数字や性能だけではなく、それが誰かの暮らしにどう関わるか—— そこに、本当の意味がある」 ある日、講義後に一人の青年が先生に声をかけてきた。 名前は佐藤。 大学院ではAIの研究をしていたという。 「先生、技術に“倫理”は必要ですか」 その問いに、先生は少し微笑んだ。 「必要というより、避けては通れません。 技術は、力です。 力には、方向がある。 その方向を決めるのは、人間の価値観です。 だからこそ、技術者には“哲学”が必要なんです」 佐藤は、しばらく黙っていた。 そして、静かに言った。 「僕は、まだその哲学を持っていません。 でも、先生の話を聞いて、探してみようと思いました」 先生は、深く頷いた。 「それで十分です。 哲学は、答えではなく、問いを持ち続けることですから」

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