3.10 静寂の中の問い
—ケップの海辺で、存在と時間をめぐる対話—
ケップの朝は、まるで時の流れが緩やかになったかのようだった。 波の音が一定のリズムで耳に届き、ヤシの葉が風に揺れる音が、静かに心を撫でてくる。
トシ先生は、海辺のベンチに腰を下ろし、田村さんと並んで座っていた。 先生は50代になり、旅の中で出会う人々との対話に、より深い意味を見出すようになっていた。 田村さんは、先生よりも一回り以上年長の方であり、その穏やかな佇まいには、歳月を重ねた人だけが持つ落ち着きがあった。
「先生」 田村さんが、ゆっくりと口を開かれた。 「人は、なぜ“何かをしていないといけない”と思うんでしょうね。 何もしないことに、どこか後ろめたさを感じるのは、なぜなんでしょう」
先生は、しばし海を見つめたまま、言葉を選んだ。 「それは、“時間”を自分の所有物だと思っているからかもしれません。 時間を使う、費やす、無駄にする—— でも、本来、時間は誰のものでもなく、ただ流れているだけなのかもしれません」
田村さんは、目を細めて海を見つめられた。 「では、“生きる”とは、何なのでしょう。 何かを成し遂げることなのか、それとも、ただ“在る”ことなのか」
先生は、静かに頷いた。 「最近思うのです。生きるとは、“気づく”ことなのではないかと。 風の匂いに気づくこと。 誰かの沈黙に気づくこと。 自分の心の揺れに気づくこと。 それが、生きている証なのかもしれません」
田村さんは、微笑みながら言われた。 「それなら、私は今、ちゃんと生きているようです。 この風に、ちゃんと気づいていますから」
午後、先生は田村さんと共に町の小さな図書館を訪れた。 先生は、カンボジアの哲学者ソク・サヴァンのエッセイを手に取り、静かにページをめくった。 そこには、こう記されていた。
「人は、目的を持たなくても、意味を持つことができる。 意味とは、他者との関係の中で、静かに育まれるものだ」
先生は、その一節を田村さんにそっと読み上げた。 田村さんは、目を閉じて、ゆっくりと頷かれた。
「先生、私はもう“金利”で暮らしているのではありません。 “関係”で暮らしているのです。 風との関係、町との関係、そして、先生との関係—— それが、今の私の生活の核です」
先生は、その言葉に深く胸を打たれた。 旅とは、出会いの連続であり、時にその出会いが人生の意味そのものになる。
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